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強迫障害と戦って


本当に治る病気だったと驚くこの頃・普通の生活に戻った今


ネットで同じ病気を持つたくさんの人の書き込みを拝見して
この病気は治らないと、それこそたくさんの病院を廻り、絶望とそれでもどうにかしたいとの願いを見てきた私は
ただ、家族のため、自分のために、少しでも軽くなればと通院した2年半
まさか、こんなに普通の生活が出来るようになるなんて夢のようです
まずは治療に当たってくれたA医師とカウンセラーのB先生、心よりお礼申し上げます。

発病したのは20年も前、結婚2年を過ぎたあたり、徐々に強くなって、でも、病院の門をくぐる決心がつかず、
縁有って訪れた病院でも とても恥ずかしくて自分の病気のことは言い出せなく ただ不眠治療だけを受けていました。
しかし、とてもじゃなく日常生活が出来なくなった2年半前
恥とか外聞とか言っていられなくなり すべてを打ち明け助けを求めた病院は保健所の紹介でした。
まじめに話を最後まで聞いてくれたA医師。
最初の薬はすごい量でした。1日に30錠ぐらいはあったと思います。
しかも、私の場合は食べ物、口に入るものが散らかるのが怖いという症状だから、錠剤しか飲めない(頓服は粉が散ると言うイメージがあって)。
それも、ちゃんと考えて、お薬も出してくださった。
A医師の紹介でその病院にいらっしゃるカウンセラーの先生の中の一人、B先生に会えたのも幸運でした。
人見知りする私なのに、何故か嫌な感じの全然しない先生で(プロですね・笑)
時に恥ずかしさで茶化した話方になる私の言葉もしっかり受け止めてくださった。
今では、病気以外の話が中心で、親の事、子供の事、愚痴を言っている感じかもしれません。(笑

病院に掛かりだして1ヵ月後にはもう子供と旦那と別居が始まりました。
ネットで同じ病気で一人暮らしをしている人の生活を知り、これだと思いA医師の相談し・・・
家族には、大迷惑を掛けました。子供は友達と別れ、全然知らない中学に入学。
旦那は、二重生活で金銭的にも、それにちょっとは、家事もやったかもしれません。
実家の親には子供の面倒と、ヤッパリ旦那の面倒もかけました。
でも、それが第一番目に良かった事かもしれません。
何しろ、絶対量でやらなければならないことが減り、身体を休めることが出来たのですから。

半年がたった頃、子供が部活動の先輩との事で悩んだり、
旦那が、子供に手を上げるようになり(たぶん、教育的判断だと思いますが)
離れて暮らすことが辛くなり、旦那と子供の生活するアパートに、最小限の身の回り品だけ持って移り住みました。
そこでの生活は、すでに、私の病気で言うところの汚く怖い状態での暮らしでしたのでた。
だから、諦めがあったのが良かったんだと思います。
どうせ、家に帰るときは全部手入れして帰るんだから多少のことは我慢しようと・・・
自分の布団と服さえきれいなら我慢できる。
これが二番目に、病気を軽くしたものなのでしょう

そこのアパートで半年暮らした頃、家賃がもったいないといよいよ家に帰ることとなりました。
その直前まで、私はバイトをしていたので、かなり体力が落ちていました。
そこで、思うように、アパートで汚れたと思う物をきれいにすることが「良い加減」ですんだのです。
これが第3番目に病気に良かったのだと思います。

さて、帰ってからは、アパートで洗濯物を外で はたかない生活に慣れていたので
下洗いをするとかで、どうにかやりくりが出来るようになりました。
さて、話は戻りますが、私が病気がピークを迎えたのには、犬を飼い出したことが原因であります。
それは、この病気のせいで子供に迷惑を掛けている罪滅ぼしであったと思います。
ところが、これが、病気を急速に悪化させる要因になったのです。
犬には何故か、ばい菌が有ったり、それこそ餌が体毛についたりし、とても汚く怖い物と思ってしまい
散歩帰りの子供は頭毛を はたいてもらうし、洋服は一切着替えてもらったりしました。
それでも、犬の毛は洋服につくわけです。
それで、洗濯物を洗濯機に入れる前に、ひたすら屋外で はたかなくてはならなくなったのです。
(ちなみにその犬は、いまだに実家の父母に預かってもらってます)
また、取り込んだ洗濯物もそこいらの床におくことが出来なくて、一度はビニールの袋に入れて、絶対に床には置かない。
そこで考え出したの12畳のリビングを2部屋に分けることでした。(まだ、病院にかかる前の事です)
2つに分けた片方の部屋を洗濯部屋として、雨の日に塗れた物を干したり
取り込んだ洗濯物をたたむ部屋にしたんです。
元気な人から見たらなんて無駄遣いでしょう。
でも、これが、第4に私を救ってくれたのでしょう。
リビングとダイニングが一緒の12畳から、食事は狭いキッチンでするようになり
当然食後の掃除が面積的に狭くなったのです。
嘘みたいだけど、12畳のリビングダイニングで食事を取っていた時は
食後、掃除機をかけると、その排気でさらに食べこぼしたものが飛散したような気分になり、何度も何度も繰り返し掃除機をかけたものでした。
狭くなって、それが楽になりました。
これが5番目にさらに私を救ってくれました。
それからは物理的というよりは、家族の存在でした。
それは、決して優しいものではなく、むしろ私にとっては不快な行動でした。
特に娘が、食事が終わった後、洋服をはたかれるのを極端に嫌い、ものすごい剣幕で怒ったり
私の手が出ないうちにさっさとキッチンを出てしまったり
それでも辛い私は、それなりに納得がいくように掃除をしていましたが・・・

それと平行して、子供の年齢が行くにつれ、学業が目立って遅れだしたのです。
当然、別居の時 病気を知った、姑は、子供の学業のことを私の病気のせいだと言いました。たぶん、それはあると私も思います。
そんな時、子供が望んだ家庭教師をつけることになるのです。
先生は今まで両手で数えるくらい変わりました。
はじめの先生には、缶ジュースをそのままと、散らからないと思えるプリンぐらいしか出せませんでした。
しかし、中3の夏休み、お昼をまたぐ先生が、これまた親切な先生でお昼ぐらい出さないと と思えるようになったのです。
もちろん、これも、散らかるパンのようなものは出せなかったのですが
それでも、ベットのある子供部屋に、食べ物を出すと言う事は私にとって大きな転換期になったのです。
しかも、掃除するまもなく、次の先生が来る。
いやおうなしに・・・
そして時間に流されていく。子供のため。
これがくしくも6番目に病気に良く作用したのでしょう。

ここまで来ると、後は不思議な様にに呪文は解けていきました。
散らからない食べ物なら食後、テーブルを、洗剤拭きしないでも平気になり
調理パンなら、シナっとしているから きっと飛び散らかってないだろうと思えるようになり
散らかるものを食べるときは 食べている人を見てテーブル意外に散ってはいないと思えるようになり
散らかる様なものを食べて、逃げるようにキッチンを出て行く子供を
きっとキッチン内にすべてを落として行っただろうからキッチンだけ掃除すれば良いと思えるようになり

そして、それを報告すれば、すごいと言ってくれるカウンセラーのB先生がいてくれて
まだ、2年半だっけ?もっと立ったような気がすると言ってくれるA医師がいてくれて
薬も不眠対策を除けば、後2種類を残すだけとなりました。
セルトニン不足は体質だから、再利用するための薬は、必要だと思います。
でもそれは、糖尿病患者さんがインシュリンを投与して元気に暮らすのとなんら代わりのないものではないでしょうか



こうして、私の長年の強迫性障害との闘いはひと段落 ついたのです。
以前のようにもどらないとは言いきれませんが
以前のように闇に包まれることはないと思えるのです。
ここまで来れたのですから



今は、性格まで以前の私に戻り
そして自信が戻り
何より、毎日がとっても楽で
今、やりたいことがいっぱいあるようになれたんです。
時に、子供の前で、死にたいとこぼしていた私がです。
こんな幸せを手にすることが出来るなんて絶対にないと信じていた私がです。



同じ苦しみを持つ皆さんが、嘘だと思われても当然だと思います。
私も絶望の中で自分を卑下していたのですから。20年もの長い歳月を。
でも、今、感謝できる私がいることを、ちょっとでも、頭の隅においてもらえばと思い取りとめも無く書き綴ったしだいです。
お世話になった、何度も訪れた「れもんさんの”強迫神経症の広場”」、れもんさんに、またそこに集った方、書き込みをしていらっしゃった皆さん
こんな経験をした人間もいると思って下さったら幸いです。
強迫性障害の会 112番の「みいすけ」です。 
ちょうど一人暮らしをしている時、思い切ってメンバー登録をさせていただきました。
掲示板を食い入るように読ませてもらい助けてもらった一人です。




どうぞ、皆さんが少しでも楽になりますように心からお祈り申し上げます。

強迫性障害を知らずに読んでくださった皆さんにも幸多かれとお祈りいたします。



強迫神経症の広場

(注)今日では神経症と言うのはどうやら当てはまらないようで強迫性障害と呼ばれています。
脳内物質のセルトニンが不足しているために起こる障害と思われているそうです。  

(注)なお、誤解を招く表現がありましたら記者の至らぬせいです。お詫び申し上げます。



 
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